書家・川村驥山が愛した篠ノ井を「書のまち」に

幼いころからの書の天分を発揮し、天才書家と呼ばれた川村驥山。昭和を代表する書家であり、書道界初の日本芸術院賞はじめ数々の賞を受け、書道界では希有な個人展示館「驥山館」をもつ。

JR篠ノ井駅舎の駅名額はじめ、篠ノ井の町中には驥山の多数の作品が残されている。駅前通りには、驥山の書による8基の道標「無一物無尽蔵」、「酔裏天真」などが設置され、驥山館(篠ノ井布施高田)には、神童といわれた5歳の時の書「大丈夫」をはじめ代表作が一堂に揃う。

驥山が晩年を過ごし多数の作品が存在する地域として、驥山をしのぶのに篠ノ井ほどふさわしい地はないだろう。

2006年4月に結成されたまちおこしクラブ篠ノ井では、驥山の書を巡るまち歩きや、書22点の所在地を示すマップ「驥山書在地」づくりなどを行ってきた。

昨年11月には「驥山生誕地を訪ねる旅」として、静岡県袋井市を訪れた。

そこでは、早い時期から市民や教育委員会、観光関係者が手を携えて驥山展や学習会を開いたり、驥山の名を冠した清酒を作るなど町をあげて驥山を顕彰している。

同クラブ会長の宮崎一さんは、「官民一体になっての熱意には驚きました。長野も負けていられないと、大いに励まされました」と語る。

今年3月に、篠ノ井で初の驥山展を開催したところ、1000人近い人々が詰めかけた。作品展示のほか、驥山の長女、佩玉の養子に迎えられた書家で驥山館館長の川村龍洲さんと、驥山が疎問した寺、耕心庵の娘の千野喜和子さんが講演を行い、200人もの巾民が、驥山の書の魅力、人門驥山の魅力心耳を傾けた。

驥山は筆。一本で全国各地の素封家を巡り、いわゆる文人墨客的な生活を送っていた。

疎開後も書を大好きな酒に換えたことも少なくなかっただろうと推測され、現在知られているだけでなく、もっと多くの驥山の書が篠ノ井にはあると考えられており、それを発掘するべく調査を始めた。また、生前の驥山についてエピソードも収集している。「没後41年の「今やらなければ、散逸してしまう」と宮崎さんは力を込める。

驥山の家の隣組に住み、幼いころから驥山に可愛がられた龍洲さんは、「普段の驥山は背丈より長い杖をついてよく散歩していました。。

筆をふるう姿を見たこともありますが、努力して到達できる世界を越えた、一種の天才を感じます。絵画など他の芸術に比べて書はわかりにくいと言われますが、町おこしという形で注目していただいて大変ありかたい」と語る。

「疎開してきた驥山が戦後も故郷に帰らず、家まで建てて亡くなるまで暮らした。

驥山を敬愛した住民は、いつでもその書が見られるようにと浄財を出しあって驥山館を建てた。

驥山も素晴らしいが、彼を暖かく見守った先人達も素晴らしい。書のまち篠ノ井を広めて、地元の人間の自身と誇りにつなげたい」と宮崎さんは抱負を語る。
行政の支援も受けて、この春、新たな驥山書所地マップ5万部を発行。来年の篠ノ井イヤーに向けて準備が始まっている。